ねえねえ。
遠くからアキコの声がする。
ねえねえねえ、ってばねえ。
呼ばれていることはわかってはいるが、用があるのならそっちが来ればいい。ショウタは布団の中で思う。
なに?
心に思ったことを口には出せず、ショウタは布団から抜け出してキッチンにいるアキコの元へと向かった。
これ開かないの。
アキコの手にはビンが握られていた。
なに、それ?
ジャム。固くてうんともすんともいわない。
えっー、違うのにすれば?
だって食べられる物これしかないもの、この家には。
アキコは右手でジャム、左手で食パンの袋を持ち上げた。
だって料理しないから。
知ってるわよ。だから、これしかないからお願いしてるんでしょ?開けてよ。男の子でしょ。私おなか空いて力出ないから。
なんかのキャラみたいな言い方すんなよ。貸してみな。
ショウタはしょうがないな感満載で手を差し出す。アキコはそんなショウタを見て小さく笑った。
ふんっ、フンッ、フフフンッ!
ショウタは力を入れる。徐々に力を入れる。はじめはすぐに開くと思っていたけど、思ったよりも固い。
手が滑るな。
ショウタはズボンで手を拭く。
ふうん。じゃあゴム手袋つけてみれば?
アキコは眉毛を上げて言う。
ゴム手袋?
うん、滑るんでしょ?ゴム手袋なら滑らないじゃない。
そっか。でも、ないよ。
え?
ゴム手袋なんてあるわけないじゃん。この家に。
ショウタは笑う。
なんで?
なんでって言われても…、使わないから。
うーん、じゃあ、輪ゴムは?
輪ゴム?
そう、輪ゴムを巻いて滑りにくくするの。
いいね。輪ゴムなら多分あるよ。
ショウタはキッチンにある引き出しを次々開けていく。
あった。
ショウタは親指と人差し指で輪ゴムを吊るす。
それだけ?
アキコは目を細める。
3本。ないよりマシだろ?
そうね。じゃあそれをフタのところに巻いて開けてみて。
よし。ふんっ、フンッ…。3本じゃあんまり意味ないな。
ショウタはまたズボンで手を拭く。
もっとあればね。じゃあ、タオル濡らしてかぶせてみて。
いいね。
ショウタはタオルを濡らしてしっかり絞り、ビンにかぶせる。
ふんっ、フンッ……。開かないな。
ショウタは大きく息を吐き出す。
そっか。じゃあ次はビンを温めてみて。
温める?
うん、50℃くらいのお湯でビンのフタだけを温めるの。
へえ、やってみよう。鍋はあるから。
料理しないくせに。
もちろん、使ってないよ。
威張って言うことじゃないでしょ。
もういいかな。
ショウタは水を入れて熱した鍋を見つめる。
うん。
ショウタはビンを逆さまにしてフタの部分だけをお湯につけた。
もういいんじゃない?フタが温かいか触ってみて。
アキコは鍋の中を覗き込む。
よし、いい感じだ。
ショウタは濡れたところをタオルでしっかり拭き取り、力を入れる。ふんっ、フンッ…。
開かないな。ライターであぶってみようか。
ダメよ。ビンが割れたら危ないから。
じゃあ、どうする?
うーん、なかなか強敵ね。
アキコは顎を指でつまむ。
よしっ、じゃあ次はビンを逆さまにして底を手のひらで軽く叩いてみて。
そんな簡単なこと?
うん。こういうときは、シンプルイズベスト、よ。
ショウタはアキコの言うとおりにする。
コンコン、トントン。ふんっ、フンッ…。
開かないな。
おかしいわね。だいたいこの内のどれかで開くはずなのに。ちゃんと力入れてる?
入れてるよ。見て、これ。
ショウタは両方の手のひらをアキコに見せる。ビンやフタの跡がいくつも刻まれ、赤くなっている。
うーん、じゃあ最終手段。
最終手段?いいね。
キャップオープナーよ。
キャップオープナー?
ビンのフタを開けるための道具。
……そんな物、この家にあると思う?
だね。
ふたりはビンを見つめる。開かないビンを。
ちょっと貸して。
アキコが手を差し出す。
握力だけじゃなく腕全体、からだ全体を使ってやるのよ。
やってるよ。
腕を伸ばして利き手じゃない方の手でフタを持って、利き手の方でビンを持って。肘を曲げて膝も曲げて、からだ全体を使って回す!
だからやってるって。
開いた。
えっ?
ほら、開いた。
アキコの右手にはビン、左手にはフタが持たれている。
えっ?
ショウタはアキコの手からビンとフタを取る。
えっ?
ショウタはフタを閉める。軽く回すと開いた。もう一度閉める。強めに閉める。ちょっと力を入れたら、開いた。
えっ?
ショウタはアキコに目をやる。
ちょっと!今までの苦労はなんだったの。
アキコはビンを奪い取る。
…多分、あれだな。今までいろいろ試した蓄積が、ちょうどアキコがやったときに花開いたんだ。
ショウタは笑ったフリをすることしかできない。
やっとジャムが使える。
アキコはキッチンに向かい、食パンを取り出した。
ショウタは布団へ戻る。手はまだ少しヒリヒリしている。本当に目一杯やった。男らしいところを見せるため。はじめは余裕で開けられると思っていたのに、こんなことになるとは微塵も思っていなかった。
筋トレしようかな…。
布団の中で呟き、こっそりうつ伏せになって腕立て伏せをする。
ポキッ。
どこかの骨が鳴った。
情けない…。
大きく息を吐き出し、手を伸ばしてうつ伏せに戻る。なんだか涙が出てきそうだ。
ショウタも食べる?
アキコの声がする。
食べる!
ショウタは大きく声を張り上げた。
起き上がる前にもう一度腕立て伏せをする。
念のため、キャップオープナーとやらを買っておこう。アキコには内緒で。
イチ、ニ……。
さっきより腕立て伏せができた気がした。
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