風が強くて、向かい風。
目を細めて歩いていたら「久しぶり」と声がした。
声の先には、君がいた。
逆風の中でも逆光の中でも、君だとすぐにわかった。
「久しぶり」
「どのくらいぶり?」
「さあ?5、6年ぶりくらい?」
本当は2年前だ。本当は心臓バクバクなのに、本当はもう眩しくないのに、目を細めてごまかしてみる。
「そんなに経ったんだ」
君はなにも疑うことなく、5、6年前を懐かしむような顔をする。君にとっては、きっとそれだけのことなのだろう。
「今、ヒマ?」
「まあ」
「お茶しようよ、おごるから」
「……うん」
どうしてぼくはOKしたのかわからないし、どうして君がぼくを誘ったのかもわからない。君にもぼくにも深い意味なんてなく、意味なんてないのだろう。
ひとりでは決して入らないような、おしゃれ感満載のカフェに入る。まわりは若い女性ばかりで、あちこちから甘い香りが行き交っている。
「なに飲む?」
「コーヒー」
「じゃあ、わたしも。ここロールケーキがすごくおいしいんだけど食べる?」
「いや、さっきごはん食べたばっかりだから」
「ごはん食べたあとだから、ロールケーキ食べるんでしょ?」
食後のデザートはぼくの文化に入っていないし、甘いものは別の腹にいかない。ぼくにとって、ごはんもデザートも同じ場所に行き着く。君の理解できない方程式を、ぼくは丁寧に断った。
断ることくらいぼくにもできるのだよ、という意思表示のように。
「今、なにしてるの?」
「前と一緒」
君がぼくの「前」を覚えているのかわからないけれど、「今」のぼくをあまり知られたくない。
「そっか、営業大変でしょ?」
ぼくの「前」を覚えていることに驚き、そしてちょっと笑ってしまう。
「まあ、どんな仕事も大変だからね」
ほかの仕事のことなんてなにも知らないくせに、わかったようなフリをするのは「前」も「今」も変わらない。
「ふふっ」
君は笑った。ぼくと同じことを思ったのかもしれない。
「お待たせいたしました」
愛想のよい店員さんが、コーヒーとロールケーキを一緒に運んできた。
「同時に持ってくる気配りがあるから、この店はこんなに繁盛しているのかな」
店員さんが去ったのを確認してぼくは言う。
「ふふっ」
君はまた笑った。
「これ、本当においしいから。一口食べてみて」
君はフォークに刺したロールケーキをぼくの前に差し出す。
「いや、いいよ」
「おいしいって言われたいの」
君が作ったかのように、まっすぐぼくを見る。本当は一口食べてみたかった、なんて絶対に言えない。
「わかったよ」
「……どう?」
「おいしい」
「よかった!でしょ?」
君はきれいにロールケーキを切り分けながら食べる。口のまわりにクリームがつかないよう、上手に食べる。
「本当はロールケーキのはしっこが好きなんだよね」
君はコーヒーをすする。運ばれてきた時点でカットされているロールケーキ。はしっこなんて出てきやしない。
「はしっこ?真ん中がいいでしょ」
「違うよ、はしっこがいいの。はしっこの丸まったようなしぼんだような、あの感じが好きなんだよね」
「中身詰まってないでしょ、はしっこは」
「それが切なくていいのよ」
君はロールケーキを口に運ぶ。君の口のサイズにちょうど良くカットされたロールケーキを。
切ないという感情は人それぞれだからどうしようもないねと自分に言い聞かせ、ぴったりサイズのロールケーキの行方を目で追う。
あの日、君はぼくに別れを告げた。
ふたりして「観たい」と言っていた映画を観たあとに。
君は「面白かった」と言い、ぼくは「期待していたほどではなかった」と言った。今みたいに、ふたり向かい合ってコーヒーを飲みながら。
価値観なんて人それぞれ。意見が合わなくても、大した問題ではない。ぼくはそう思っていた。そして、君もそうだったに違いない。
なのに、どうして、まさか。そして、君はそのままぼくに「別れましょう」と告げ、立ち上がってぼくの前から姿を消した。
映画の趣味が合わないことは、十分別れの理由になるのだ。君から直接別れの理由を聞けなかったけど、君の友人から後日談としてぼくは知った。
「エンドロールの途中で、帰ったんでしょ?あの子、それが嫌だったって言ってたよ」
価値観なんて人それぞれ。好きも嫌いも人それぞれ。映画の感想や席を立つタイミングも人それぞれ。ただ、それだけのこと。許せることと許せないことの線引きは、やっぱり人それぞれなんだ。
ロールケーキは好きだけど、はしっこよりは真ん中のほうを食べたい。でも、はしっこもおいしいことは知っている。
君はきれいにロールケーキを食べ終えた。
最後に食べたロールケーキの欠片には、クリームがあまりついていなかったけれど、君は最後までおいしそうに食べていた。
この時間も、そろそろエンドロールが流れはじめた頃合だ。
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